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六堆抗日紀念公園 日台の歴史を学ぶ六堆抗日戦争最後の戦場

今回は屏東市に隣接する長治郷の「六堆抗日紀念公園」を訪ねました。「抗日」が表すとおり、ここは侵入する日本軍に激しく抵抗した六堆義勇軍との最後の戦場となった場所です。

火焼庄

清朝時代に発生した火災で村の殆どが焼失した為、俗名「火焼庄」と呼ばれるようになりました。更に下関条約締結後、上陸した日本軍との交戦によって再び村が灰となった為、火焼庄の名がより強く印象付けれることになります。

1699年に広東省から台南に上陸した邱永鎬は、後に火焼庄がある阿猴(現在の屏東市)に移り住んで開墾を進めました。その結果、荒地が二毛作ができるほど豊かな土地になります。また邱永鎬は、朱一貴事件、呉福山事件の際には、出兵して戦果を挙げました。

六堆抗日戦争

1895年(明治28年)4月17日に調印された下関条約で、台湾を割譲された日本。しかし、台湾で予想を上回る多くの民衆の抵抗に遭い、全土を統治するまでにはかなりの月日を費やすことになります。

乃木希典大将が率いる第二師団約八千名が1895年(明治28年)10月に現在の屏東県枋寮鄉番仔崙に上陸。台湾南部から進軍を開始しました。

六堆抗日大總理として邱鳳揚が指揮した六堆義勇軍と日本軍の最後の戦いが、ここ火焼庄で繰り広げられます。当時わずか10歳だった邱鳳揚の四男・邱元添をはじめ50余名の戦死者を出して、六堆義勇軍は敗北しました。

六堆抗日紀念公園

六堆抗日紀念公園は、屏東県東県長治郷長興村にあります。台鐵屏東駅前のバスターミナルから屏東客運の路線バス8227(三地郷公所行き)、8228・8229(水門行き)に乗車して、下長興バス停で下車。近くにある天后宮まで戻り、川沿いに歩くと、左手に六堆抗日紀念公園が見えてきます。公園内には、六堆抗日紀念碑の他、福徳祠や烈士祠があります。

六堆抗日紀念碑

民國85年(1996年)1月1日創建された六堆抗日紀念碑(火焼庄戦没紀念碑)。邱明志、邱明正が発起人となり、火燒庄の村民や六堆各地からお金を出し合って、六堆抗日戦争で命を落とした人々を称えをる石碑を戦場跡である火焼庄(現在の屏東県長治郷土長興村)に建立しました。

落成の際には厳粛な雰囲気の中でセレモニーが行われ、その際には抗日戦争の歴史的意義が紹介されました。

紀念碑の六角形は六堆の団結を表し、正面下段には「氣與河山壯,名爭日月光, 煌煌民族史,照耀光燒庄」の詩が刻まれています。

福徳祠

土地の神様(土地伯公又は福徳正神ともいう)を祀る福徳祠。人々から信仰を集めて、地域を見守っています。

烈士祠

六堆抗日紀念公園の基本情報

住所:屏東県長治郷長興路

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