屏東県竹田郷にある六堆忠義祠。屏東県から高雄市北部に渡る、六堆と呼ばれる地区に暮らす客家の人々の信仰を集めています。
六堆忠義祠の歴史
ときは清朝時代の1721年。 朱一貴の乱が発生、治安の悪化が心配されるようになりました。そこで、台湾南部の客家集落の人々は、広域にまたがる自衛団を結成しました。これを六隊(後に六堆に改称)と言います。六隊は地域ごとに分割され、左隊は佳冬と新埤、右隊は六亀と杉村・美濃・高樹、前隊は長治と麟洛、後隊は内埔、中隊は竹田、先鋒隊が萬巒です。
乱が鎮圧された後、集落の為に戦い命を落とした人々を祀る為に廟の建設が始まりました。翌年1722年に完成したのが、忠義亭です。その後、1732年には呉福生の乱、1786年に林爽文の乱が発生。また、日本統治時代初期には、枋寮から上陸した日本軍と戦い亡くなった人々が、新たに祀られました。その後、1901年(明治34年)には、当時・台湾総督だった児玉源太郎が忠義亭を参拝したそうです。
戦後、荒廃した忠義亭を再建すべく1951年から検討を重ね、1955年着工 1958年に完成。その際に、忠義亭から六堆忠義祠に改名されました。
こういった忠義祠が歩んできた歴史を踏まえて参拝すると、見えてくるものひとつひとつのストーリーが興味深く感じませんか。忠義祠の後方にある屏東県客家文物館と合せて見学すると、より客家の人々の文化を理解できると思います。
六堆忠義祠の行き方
台鐵屏東線の西勢站前を通る龍南路を線路沿いに、屏東方面へ向かって歩くと龍門路に突き当たります。ここを左に曲がって少し道なりに歩くと、左手に忠義祠が見えてきます。
六堆忠義祠の基本情報
住所:屏東県竹田郷西勢村龍門路54號