中国・清が康熙帝の時代末期、大陸から渡ってきた客家の人々が、龍頸溪の河畔から土地を開墾をはじめ、街を作り上げてきました。今回はその足跡が多く残る「陽濟院老街(内埔老街)」を散策しながら街の歴史を辿っていくことにします。
陽濟院老街の行き方
陽濟院老街がある屏東県内埔郷へは、台鐵屏東駅又は台鐵潮州駅から屏東客運の路線バスに乗車。内埔バス停で下車します。街歩きの起点は、バスを降りた向かい側にある内埔天后宮から。
参拝を済ませた後、光明路を渡って広場を横断して陽濟路へ入りました。このあたりは集落全体が観光スポットとなっていて、週末を中心に観光客は訪れています。ちょうどお昼どきとあって、食堂はどのお店も盛況。美味しそうなにおいを感じながら、そばを通り抜けました。
香谷居
通りの両側に連なる民家を外側から見学してゆきます。
源順堂
二樓洋房
路地に連なる提灯に誘われて、細い路地に入っていくと、2階建ての集合住宅が見えてきました。お願いすれば中に入れたのかもしれませんが、今回は外から見学。途中でいただいた観光マップをもとに、街歩きを続けます。
東望樓
陽濟路から東成路へ入り、最初にやって来たのは「東望樓」
東望樓は1910年代に劉煥祥というお医者さんが建てられたそうです。窓に竹を模した柵が施されて、上部の小窓にも装飾が見えますね。屋根には、前回ご紹介した内埔天后宮にもあった燕尾が。風雨にさらされて傷みが激しいのが残念ですが、うまく保存して活用していただければいいなと思います。
開基伯公
続いてやって来たのが、內埔碾米廠の向かいにある「開基伯公」
土地の守護神とされる福徳正神を祀っています。
三山國王廟
この後、工場のそばを通り抜けて「三山國王廟」へ。
両サイドの黄金の狛犬(獅子?)が可愛らしいですね。柱に書かれた國泰民安はなんとなく意味が想像できますが、風調雨順(ふうちょううじゅん)とは、物事がうまくゆきますように。漢字圏に生きていると、何となく意味が分かるっていいですね。
三山國王とは、広東省掲陽市掲西県明山・巾山・独山の3つの山に対する信仰が由来とされています。台湾各地でも廟をよく見かけますね。管理されている方が色々お話をしていただいたので、お礼を言ってからお参り。更に街歩きを続けます。
清河戲院
三山國王廟を後にして、陽濟路へ戻ってやってき来たのは「清河戲院」
建物を見たときは工場かな?と思ったにですが、清河戲院は清河診療所が出資してできた劇場です。台湾映画業界の全盛期には、とても賑わったそうで、内埔に三軒あった映画館の中で唯一建物が残りました。
続いて陽濟路から東成路へ入ります。この辺りは、装飾を施したアートな建物が目立つようになりました。
と、ここで私たまねこ同様?徘徊していた犬に遭遇。目があった瞬間激しく吠えられて、逃げるようにこの場所を離れます。
劉家文才居
ここで動揺した為、ちょっと迷子になってしまいました。地図を見て場所を確認し、東陽街へ出て光明路を探します。このエリアでは最後になる「劉家文才居」を外から見学。
このまま真っすぐ歩くと、光明路にたどり着きます。龍頸溪溪畔公園を散策した後、内埔天后宮へ戻りました。