有楽町にあるTOHOシネマズシャンテで、台湾映画「返校 言葉が消えた日」を鑑賞しました。
イントロダクション
「悲情城市」「牯嶺街少年殺人事件」に続いて、相互監視と密告を強要された「白色テロ時代」の台湾を描く作品という紹介をされた「返校」。終戦後、日本に代わって台湾を統治した中華民国・国民党政府と台湾の人々の軋轢が引き金に発生したニニ八事件(1947年)、国民党軍の中国撤退(1949年)と同じ年施行された戒厳令の発令。ここから1987年の解除まで続く「白色テロ時代」については、台湾を何度も訪れるうちに興味を持って学んできました。
発禁本を読む秘密の「読書会」。誰が密告したのか…相互監視の中で、最後は誰も信じられなくなる極度の人間不信。極限状態の中で明らかになった真実は、嫉妬からくる密告だった…途中、残酷なシーンに何度か目を閉じました。
日本の「白色テロ時代」
布袋劇をこよなく愛する少年は、禁じられていても鞄に入れて登校。門を通り抜ける際、校門で監視していた教官に「鞄の中」を見せるように指示される…戦前戦中の日本を描くドラマで、軍服を着た教官が登場するシーンを思い出しました。大正14(1925)年に公布された「陸軍現役将校学校配属令」によって、公立中学以上の教育施設に陸軍の現役将校が配属・指導に当たりました。そう、確かに日本でもこのような制度があったのです。終戦時、生徒たちが教官をどのような目で見ていたのか…ふと気になりました。
全校朝礼時の国旗掲揚。麻袋を被せられて憲兵に連行される教師。騒然とするも、何もなかったように国旗掲揚と国歌斉唱を続けるように指示する教官。麻袋を被せられて整列している生徒達の間を男子生徒と女子生徒が駆け出す…この「麻袋を被せられた」人々で思い出したのが、大正14(1925)年に施行された「治安維持法」により、思想犯として特別高等警察(特高)に連行される人々。こちらは麻袋ではなく笠だったと思います。
このふたつの法令が公布・施行されたのが、共に大正14(1925)年。これは偶然なのでしょうか。かの教官であり、特高の人々が戦後どのような人生を歩んだのか…恐らく戦犯にはならなかったであろう彼らのその後のことが、ふと気になりました。
パンフレット
映画館を出た後、余韻に浸りながら近くでお昼を食べることに。色々なシーンを思い出していたのですが、モヤモヤしきたことが出てきます。どうしても気になったので、食後に戻って売店でパンフレット(700円)を購入しました。
パンフレットには、上映中には理解だった生徒・先生・教官達のプロフィールが詳しく掲載されており、ココを読むことで、より背景が私の中で理解できました。鑑賞された際は、一読されるといいと思います。
返校鑑賞を終えて
髪の毛の色や長さ、少年マンガ雑誌を学校に持参…など自分の学生時代にも、見つからないように校則をやぶるってことはありました。でも、「返校」で描かれているような取締りや拘束・連行されるようなことはなかったわけで。置き換えて考えた時にゾッとしました。政府による監視というのは、情報社会が発達した今だから、我々の知らいないところでおこなわれているのかも知れません。また相互監視について言えば、昨今のSNSの隆盛を見れば、決して他人事とは言えない状況だと思います。最後に。教師役の傳孟柏さんが高橋一生さんに見えたのは私だけでしょうか(笑)
台湾映画「返校 言葉が消えた日」公式
台湾映画「返校 言葉が消えた日」公式ホームページ
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